サーチライトのつもりだ!

沖野のブログです。続けられるか?

5番レジより

綺麗なおねいさんがいる。

一般的な話ではない。私の近所のスーパーマーケットのことである。

 

名を斎藤さんという。

彼女は喩えれば小柄なネコだ。

おおきなラウンド眼鏡をかけている。

全体的につくりが小さい。小さな頭にどんぐり型の明るいショートヘアをしている。

こう書くと可愛らしい愛嬌のある女の子と思う人もいるだろう。しかし斎藤さんはまったく笑わない。

いつもまったく感情がわからない。

この世のすべてのものに関心感動がないかのようなに淡々とレジ打ちをする。

一度ほかのパートの店員さんに指示しているのを聞いたことがある。

それやったら出て、の一言だったがそのときも瞳は同じように無感情であった。

何度も言うが笑っているのを見たことがない。

それでも斎藤さんは綺麗だ。

 

 

溢れ出る無関心とその若さ。

斎藤さんには透明感があふれていた。

私はいたく彼女に惹きつけられた。

 

 

斎藤さんを意識せずレジを通過できない。

女には化粧をきちんとしている日とそうでないと日とがある。

きちんと、化粧をしている日は私は斎藤さんのレジに並ぶ。

はたしてその列が混雑してようとしてまいと並ぶ。

しかしメイクがいまいちな日には、私は斎藤さんのレジには並べない。

夕方のレジ前は戦場だ。

お客さんはみな我先にと空いたレジに並ぼうと動く。

その人混みの中、私だけいつも斎藤さんを主軸にうろちょろしている。

周りの人と違うゲームルールで動いている。そのことに私はいつも奇妙な優越感を覚えている。

 

美しいおねえさんがいる。

彼女たちはいつも輪郭に迷いがない。

輪郭に迷いがないというのは、観測している「私」が何を言っても精神が揺らがないということで、有り体に言えば「関心がない」ということでもある。

 

私は考えてしまう。

斎藤さんは友達になったら美しくないのだろうか。揺らぐのだろうか。

 

実は斎藤さんとそっくりな容姿の女性にあったことがある。

彼女は名を「お茶ちゃん」といった。

私が勤めたユースホステルのお客さんで、一緒に関連のイベントで再会した。

お茶ちゃんは斎藤さんと同じように白く美しい。(髪型もそっくり)

当然だが初対面に等しい関係性が私たちだった。

なのでお茶ちゃんは私に「関心がない」ことはない、むしろ自信のないくらいの接し方だった。

 

しかしそれと輪郭とは何も関係がなかった。

お茶ちゃんの輪郭は柔らかいものだった。

それだけではない。お茶ちゃんの輪郭には迷いがなかった。くっきりとしていた。

 

ちょっと待ってほしい。

これは一考すべきであろう。

お茶ちゃんと私は単なるスーパーの店員と客ではなく友人関係だった。

すると迷いなき輪郭は友人同士でも変わらないのではないか?

これは重大な発見である。

斎藤さんのくっきりした輪郭を仲良くなってから見たい!

 

私は思った、

斎藤さんとは友達になっても美しい姿を横で見られるのでは…?

(輪郭の迷いなさとはすなわち若者にとっての美しさだ)

 

それよか、彼氏になっても美しい姿を横で見られるだろう。

いったいそれはどんなランデ……

ピッ「お支払いは現金ですか?」

知っている。現実に引き戻される。

斎藤さんと友達になりたい。

あーあ近くのバーとかでの遭遇イベント起きないかな。たぶんないけど。

 

さよならの速さで顔を上げて

サーチライト沖野です。

 

カント純粋理性批判で一本を書こうとしていたときに友人と通話をしました。

友人にブログの感想を聞いたら展開が目まぐるしいといわれ、自分を見失ってTwitterをする沖野。

そこにこのようなretweetが回ってきました。

 

 

そこで思いつく。一本これで書こうと思う。

ストーリーなら展開が飛ぶ可能性もないだろう、という計算だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

こちゃこちゃ書こうと思います。さよならの速さで顔を上げて

舞台、整備された住宅街

__________________________________________

~~~~~~♪

五時 に なりました  

よいこの 

みなさん は 

おう ち にかえり ましょう......

 

ゆうやけこやけ

これを聞いたっていつもはなんてことないのに、今日は切ない気持ちになった。

小さな川のほとりを一人で歩く。

11月1日。私の最後の日だ。

 

近くでキャンキャンという声がした。見たら小型犬が飼い主に手を引かれて吠える。

鼻を肉じゃがの匂いがくすぐった。

何も変わらない。何も変わらない。

 

この日は何も起こらないと最初から占星術のカードには書いてあった。

占星術のカードというのは母が私が生まれたときに大枚をはたいて購入したカードだ。

母のくだらない宝石箱のなかに、布でくるまれてそれはいつも入っていた。

私はそれを後ろめたい気持ちで読む。

なかば軽蔑した、そして半ば生まれ変わりたい尊い気持ちで読む。

 

川は静かに流れた。

この川のほとりを裸足で歩く。

それは私が昔からずっとしたいことだった。

歩いてゆく。歩いてゆく。

川は海につながって海は川となり雨となり世界に還る。

このまま海にいけたらどんなに良いことだろうかと私は思って、そっと帽子を取り川に投げた。

 

ぶわあっと風が吹く。

 

赤いストローハット。

 

一瞬で帽子は宙に浮いた。

美しい瞬間だった。世界が夕どきの藍で満ちていた。人影のグレー。

そこら中から祝福された秋の匂いがした。遠いほうへ、帽子は飛んでゆくかに見えた。

 

赤いストローハット。

 

美しい海の向こうに何があるんだろうか。

私はうたう。

 

赤いストローハット。

 

いつか海の向こうに何があるんだろうか。

 

赤いストローハット…。

 

 

しんしん、静かにコオロギが鳴いている。

気づけば空は暗く、

ストローハットは

汚い川の泥にまみれ動かなくなっていた。

 

fin

「行きそで行かないとこへ行こう」で沖野の行かないところまとめた

 

青春へのサーチライト沖野です。

それでは今日も元気にいってみよう。

 

今回の本と評価

 

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「行きそで行かないところへ行こう」


行きそで行かないとこへ行こう

著者‥大槻ケンヂ

出版社‥新潮社

 

面白度 ☆

読みやすさ ☆☆☆

テーマの深さ ☆

こんな気分のときに読みたい:フランクにサブカルを感じたいとき

 

行きそで行かないとこへ行こう」はどんな本なのか

まずは公式から抜粋しよう。(文庫背表紙より引用)

 

なぜ行くかと問われれば、う〜ん答えに窮する。

だが、行かねばなるまい!

「のほ隊」率いてオーケンが訪ねたのは、そんな場所の数々。

そして、そこで体験したのは……。

東京タワー蝋人形VS.通天閣ビリケンさんから、お笑いの東西比較をしたかと思えば、カレー屋「M」では謎のじいさんと対決し、浅草ロック座ではストリップの陰湿に「宗教」と感じてしまった。

オーケン試練の旅エッセイ11番勝負。 

 

蛇足になるが著者大槻ケンヂは、本ブログの元になった楽曲「サーチライト」の作詞者である。筋肉少女帯 というバンドであった。

 

インディーズバンドのちょっとした有名人である彼がサブカル絶好調に街を歩くというのがこの本のコンセプトだ。

いわばカルチャーの"ブラタモリ"である。

 

中島らもが出てきて大阪について論じたりする。

 

タイトルの「行きそで行かないとこへ行こう」については冒頭に記述がある。

 

家の近所に、開いているのを見たことがないスナックがあります。

看板に「ケメ子」と消えかけた字で書いてあります。

僕はてっきり、この店は潰れたもんだとばっかり思っていたのですが、この間、深夜通りかかった時、

おもむろに扉が開き、中から客とママらしき人物が出てきて、「ハーさんまたねー」「おう!ママ、また土曜に来るからなぁ、男つくんじゃねぇぞ」「やーねーもう、ホホホ」「ワッハッハ」

などと言う会話を交わしているではありませんか。

僕はびっくりして、そしてつくづく、「自分のテリトリーの外って、わかんねーもんだよなぁ」と言う感想を抱きました。

そこがあることはわかっていてもなかなか行かないところ。そこに行くと、果たしてどんな体験ができるのでしょうか?

 

 「ケメ子」については本当に分からないが、似たような場所は確かにある。

 

そこで今回はいい意味で気になる沖野的「行きそで行かないとこ」をまとめた。

 

 

沖野による「行きそで行かないとこ」

 

まずはこちら「珈琲 カンタータ

 

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店の外にテラスと参道がある

 

画像はネットからお借りした。

緑多い庭だ。

だが一度よく見てほしい。

露地の通路の先になにか「祠」があるのが分かるだろうか。

 

写真にはないが、いつもは庭先で説明書の看板を見ることができた。

 仏閣というか、何かしらの不動尊だった。

 

ネットに看板の写真が出ていた。

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よく分からない。

由緒はきちんとして…いるのか…??

 

仏像と触れ合えるカフェなのだろうか。

仏教は好きだし仏像も好きだ。だが怖い。

私の想像だと十中100パーセント前掛けエプロンをかけたおばさんが経営している。だから怖いのかもしれない。

 

ブログもあった。

https://ameblo.jp/cafecanta/

 

 

さて続いてはこちらだ。

バー「ニューマタンゴ」 

以下はすべてネットより借りてきました。

ものすごい異様な雰囲気。

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あまりにも怪しい店内

 

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ペンギンのお面を持った男性。後ろのあれはなに…?

引用:

ニューマタンゴ - Google 検索

 

インパクトが抜群すぎる。

私の家は新宿に近く、自転車でよく新宿まで走る。

その途中、都庁の方にこの店ニューマタンゴがあった。

いつ通ってもいつ通っても心がそわそわする。

そのレベルで気になっている店だ。

ちなみに看板がめっちゃ良い。

「ニューマタンゴ」の画像検索結果

 

めちゃくちゃ入りたいのだがさっぱり勇気が出ない。

何よりどんな人がいるのか気になってしまう。

 そこにいるのは変わった趣味を持つ大人たちではないか?

それかオカルトを好む変人か、いやいっそプロの秘密結社とかどうだろう。

怪しげな店内でダサい私服で集まっては話す…。

 

 

 

令和2年3月21日、彼はニューマタンゴの前までくると慣れた手つきでドアをくぐった。

今日は土曜日。

ニューマタンゴに「赤坂棗会」が集まる定例日である。

開店したてなのに強烈な葉巻の香りがする。金曜日の人間だろう。

ニューマタンゴは日により異なる秘密結社の集会所となるのだ。

すでにメンバーが来ていた。同じものを頼みつつ、煙草に火を付ける。

「やあ」相手は頷いた。

「今回は成功したようで、何より」

隣の男は表情を変えずに答えた「いかにも。我々は宮内庁に気に入られている。当然だ」

赤坂棗会は政治勢力に対する地下組織だ。

天皇復権をもくろむ地方地主のため諜報を行う。その歴史は長く憲法立案まで遡る。

「そういえば一人来ていないな」

「その件だが米国から政府に知らせがあった。例のミサイルは5月に南極で試験するらしい」

「何だと」

「あいつは今海の向こうにいる」

「おい何てこった、ミサイルが完成したらまずいどころの話じゃない。

クライアントには知らせたのか?今請け負っている任務はどうする?そもそもあいつがーー」

そこでドアが開き4月の風が吹いた。私の登場である。

予期せぬ客に男はびくっとする。

そっと、

私はニューマタンゴへ足を踏み入れた。

緊張を悟られぬよう、腹に力をこめる。

「はじめまして、私は棗会に推薦を受けまいりました。」ーーーーーーーーーーーー

 

 

そこで妄想は途絶えた。

私はなにをやっているんだ?

そもそも新登場した女の職業がわからない。スパイか。それともシステム屋なのか。

いやここはアサシンか?無理だな。私にイェラビッチはほど遠い。

 

でも入りたい。秘密結社のニューマタンゴ、すごくすごく入りたい。

以上はニュータマンゴにおけるまさに夢のシュチュエーションなのである。

夢で南極でミサイルを発射しているのである。現実可能か知らないが。

 

 

このニューマタンゴ、調べても知名度は高くないようで情報はあまり出てこない。

しかし業界人の愛用する店特集に載っているリンクが出てきた。

興味深いので載せておく。

 

news.line.me

 

 

それでは次。カフェ&銭湯「BathHaus」

ホームページがあった。

 

tokyosento.com

 

 

サイトがイケている。

ちなみに私はここに行ったことがある。

行きそで行かないところがテーマなのにすまない。

ちなみにとても良いスポットだった。

 

BathHausはどんな場所なのか?

web上からの引用によると、

銭湯とクラフトビールバー、コワーキングスペースを融合させた施設

引用元:奥渋の新名所は、仕事して即、風呂&ビール。進化系銭湯「BathHaus」でチルアウト | BathHaus | Harumari TOKYO

 

 

ふむふむ。

仕事帰りに、お風呂で疲れを取りビールが飲めるカフェ兼バー、ということらしい。

クラフトビールが売りのようだ。

 

 

検索したらビールを持った店主の画像が出てきた。

ちなみにこの人は本当に可愛くて素敵な人だった。

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ビールとオーナー

 

ちなみにこの建物、地下と中一階はこちらのBathHausだが二階以上がある。

一般的な銭湯と違ってただのマンションだ。

マンションの中に銭湯。

超ビビる。

湿気とかどうしているんだろうか……。

私が入ったお風呂は結構小さくて3人から4人くらいまでしか入れない広さだった。

それでもビビる。

 

お風呂から出たあと紅茶を頼みそこにいた人としゃべる。

感じのいい人たちとその場のゆるい空気で完全にほぐされる。

お店から出たらもとあった疲れは完全に取れていた。

 

 みんなも行ってみて。

 

 

紹介しきれなかった店たち

今回紹介しきれなかった店は他にもある。

5坪くらいの広さなのに10数人で朝まで飲んでるカオスなバー「カリプソ」や、

青い看板がお洒落なのに入れたことがない珈琲店「FIRST HILLS COFFE DANBO」、

新宿御苑前にある出版所兼本屋「模索舎」などなど沢山ある。

 

これら今挙げた店は「いつか足を踏み入れる」ことになっているので、いつになるか楽しみにしていてほしい。

 

いつになるかは分からない。

なぜなら…

 

それが、「行きそで行かないところ」のアイデンティティだからである。

 

 

 

 

 

「ひげよ、さらば」

 

青春へのサーチライト沖野です。

それでは今日も元気にいってみよう。

 

 

2020.11.24追記

 10/25あたりに途中まで書いた記事だが全然捗らない。

途中で終わっているが一応、あげておく。*マジで短いぞ

今回の本と評価

 Amazon.co.jp: ひげよ、さらば (理論社の大長編シリーズ): 上野 瞭, 福田 庄助: 本

ひげよ、さらば (理論社の大長編シリーズ) | 上野 瞭, 福田 庄助 |本 | 通販 | Amazon

 

「ひげよ、さらば」

著者‥上野瞭

出版社‥理論社

 

面白度 -☆

読みやすさ ☆☆

テーマの深さ ☆☆

こんな気分のときに読みたい:児童向け長編が読みたいとき

 

「ひげよ、さらば」はどんな本なのか

まずはあらすじ抜粋しよう。(書籍帯ウラより引用)

これは、ナナツカマツカの丘に縄張りを持つ、野良猫たちの叙事詩である。

さまざまな猫たちが織りなす夢と冒険の物語である。

猫たちは、はたして野良猫共同体をつくりうるか。

ハリガネやタレミミのひきいる野良犬たちとの戦い。キバを中心とする野ねずみの群れ。

じいさま蛙やふくろうのじいさま。記憶喪失のヨゴロウザは、さまざまな出会いのなかで、じぶんを確かめようと試みる……。 

 

以上が本作のあらすじである。この本はブックオフより購入した。私は、ブックオフで片手にとり、あらすじを読んで思った。「なんて面白そう!!!」。

また何より今自分の仕事等々に悩んでいたので、アイデンティティの答えが見つかるかもしれないと思って期待でワクワクした。

なんか根本的なところで言うと、この本ではこの「あらすじ」が一番面白い。

本文に夢を与えているのである。

編集者がすごい。

 

さて、つまりだな、あまり言いたくないのだがつまり、本作は「くそほどつまらなかった」、私にとって。

 

編集者がすごい。

 

それではレッツゴーである。

 

問いには答えを出してほしい、と読者はおねだりする

 

やっぱ編集者はすごいな、すごいんだよ。

何がっていうと、あらすじ文末の「じぶんを確かめようと試みる……。」、ここだ。

この本、児童向け雑誌の連載だったらしいが、主人公は「試みる」ことを途中でやめるんだよ。恣意的にとかじゃなくて、ほんと、作者の気がフラフラして。「あ、忘れちゃったんだよ〜」みたいなノリで。

主論がどんどん、スライサーにかけられるチーズみたいに、回転しながらずれていく。

 

著者上野瞭は巻末でこう述べる。

おぼろげな方向だけを見すえて、ともかくスタートしたこの紙の上の冒険旅行は、何度か途中で障害にぶつかった。

いっしょに暮らしていたじいさまの死、次いで、ばあさまの死、それから、義兄の死……ということも、その一つである。 

 なんとも痛ましい私情と伺える。しかし、著者として提示したテーマにその背景で言い逃れできると思うなよ。

 

果てしなく、そう、沖野はキレている………。

 

われわれは、どこから来たのか?そしてまたここはどこなのか?

:to me>沖野へ[タスク-下記の本文引用の修正、主に漢字とひらがな表記の訂正] 

 

本作より冒頭を引用する。

猫のヨゴロウザが最初に気づいたのは、むせかえるような強い水ごけの匂いだった。それは鼻の奥をくすぐり、頭の中にしみとおり、眠っているヨゴロウザをゆすぶった。ヨゴロウザは、目をとじたまま、鼻をうごめかした。すると、ふいに、くしゃみがとびだした。

頭の中に煙がいっぱいつまっている。それが、くしゃみをしたとたん、もわもわとゆれる。ゆれながらうすれていく。うすれていくにつれて、ひやりとした風の気配を感じた。その煙がすっかりなくなった時、ヨゴロウザは、目を開いていた。

すぐそばに池があった。水ごけの匂いは、その池から漂ってきた。池は、青黒くにごっている。風が通りすぎるたびに、水面がきらきらとふるえる。

(おれは何をしているんだろう。どうして、こんなところにいるんだろう。まてよ……)

ヨゴロウザは、じぶんのまわりを見まわそうとして、思わず顔をしかめた。頭の奥に、石の塊が一つはいっている。そんな感じがする。首をまわそうとすると、そいつがごろごろ頭の中をころげる。壁にぶつかるように、頭の中をあっちこっちに走る。ヨゴロウザは、そのたびに、目に涙をにじませてうめき声をあげた。

(いったい、どうなっているんだ。おれは、眠っていたんだろうか。眠っていたとすれば、どうして、こんな、ところに……)

ヨゴロウザは、目をしばたくと顔をしかめた。

池のまわりには、木立があった。その枝葉のあいだから、やわらかい光が、あたりの草むらに降りそいでいた。どこかで、ひばりの鳴き声がした。その声が消えると、息を詰めたような静けさがゆっくりと広がっていった。

与五郎沢、下で自分の花咲を舐めようとした。喉がカラカラに乾いていた。そのせいだろうか、舌を出した途端、不意にあげそうになった。

ヨゴロウザは、自分の口から、よだれが、細い糸のように垂れ下がり、目の前の草に絡まるのを見た。その草の向こうに、ヨゴロウザの体位の太さの木が、1本横倒しになっていた。昆布だらけの、所々皮のめくれ上がった器である。山を越えるように、その未来を背上ってきた小さい黒い虫が、ヨゴロウザの下を不思議そうに眺めると、慌てて姿を消してしまった。

(1.1.1.1……)

ごろ沢、ゆっくり頭を起こした。今度は、頭の中で、石ころが動かなかった。代わりに、誰かが、大きな手で与五郎その頭の中を握り締めたように感じた。喉の奥にも、小さな生き物は詰まっている気がした。つばをはこうとすると、そいつが手足をつっぱり、ヨゴロウザの胃袋の中で片足を入と伸ばした。

ヨゴロウザは、体を膨らませた。ゆっくり体を起こした。それから、黒い小さな虫の消えたあたりを眺め、池の方を振り返った。

(ここは、どこだろう)

全く見覚えのない世界が、ヨゴロウザを取り囲んでいた

(俺の知っている世界じゃない。俺の知っている世界はどこにいったんだ……)

ヨゴロウザは、息を詰めると、もう一度自分の周りを眺め直した。何もかも違っていた。ヨゴロウザは、自分のよく知っている世界を思い出そうとした。騒がしくて、何かが、もっと入り組んでいる世界。臭いだって、こんなのじゃなくて、もっと別の、強い匂いの立ち込めているところ。

(そうだ。俺は、そのよく知っている匂いの中で、いつも眠っていたはずだ。その匂いは、こんなんじゃなくて……)

与五郎沢、そろそろと水際に近づいた。水際から端を突き出すと、ぬるっとした水を作り上げた。舌の先に、息臭が絡み、それを無理やりに飲みこむと、青臭いにおいが戻ってきた。

(もっとひどい匂いだった……)

ヨゴロウザは、何か思い出しそうになった。

(あれは、もっとひどいひどい匂いだったぞ。鼻の奥がしびれるような、もっと嫌な匂いがしたぞ。あれは、何だったのか……)

ヨゴロウザは、吐きそうになって、それを堪えた。今、浮き草を吐き出せば、思い出しそうになっている何かも、どこかへ消えてしまうように思えた。

(あの匂いさえ思い出せば、俺が、どうしてこんなところにいるのか、それもわかるような気がする……

ヨゴロウザは、体を震わせ、水際から端を吐きだした。喉の多くの生き物は、わずかに手足を突っ張った

(……ツーンとして、クラクラっとして……)

頃さは、下の先に別の浮き草を引っ掛けた。それを一気に飲み込もうとした。浮き草は、喉の奥で手足を突っ張っている生き物に絡みつき、ヨゴロウザの息を詰まらせた。ヨゴロウザは、爪の先で、喉のあたりを掻きむしり、体をよじらせた。すると、それは、すぐに、もつれ合って飛び出してきた。

ヨゴロウザは、自分の吐き出した胃液の中に、浮き草が長く伸びているのを見た。

(何も思い出せない。眠っている間に、何があったと言うんだ。俺は、本当に、自分にこんなところまで来たのだろうか……)

声がしたのは、その時だった。

「おかしな猫だな、お前って。いくら首をひねっても、そいつは食える代物じゃないぜ。この辺じゃな、いくら腹が減ったって、河太郎や鶏の水草だけは食わないんだ。」

 

あらすじの「記憶喪失のヨゴロウザは、さまざまな出会いのなかで、じぶんを確かめようと試みる」にふさわしい荘厳たる出だしである。

嫌な言い方をする。思わせぶりである。

ほとんど全てがメタファーのような言い回しだし、かなり意図して単語を用いている。

これは浅知恵だが例えば「池」は、ミヒャエルエンデの「はてしない物語」終わり部分に登場する「泉」、また上橋菜穂子の「精霊の守り人」の終わり部分にある「出産する際に舞台とされた水辺」と同じく「始まり」の場所と思わされる。

 

そして文中に「おれは何をしているんだろう。どうして、こんなところにいるんだろう。」とある。これである。

 

レッドタートルという映画のために谷川俊太郎が書いた詩を紹介したい。

ジブリ特設サイトより引用する。(http://www.ghibli.jp/red-turtle/)

 

水平線を背に何ひとつ持たず
荒れ狂う波に逆らって
生まれたての赤ん坊のように
男が海からあがってくる

どこなのか ここは
いつなのか いまは
どこから来たのか
どこへ行くのか いのちは?

空と海の永遠に連なる
暦では計れない時
世界は言葉では答えない
もうひとつのいのちで答える

衝撃の作文だが、もうそこはいい。一旦いい。

そんでもって伝えたいのは、定番のテーマだということだ。基本的なテーマ、根源的で、普遍的で、避けることのない、できないテーマ。

 

「どこへ行くのか いのちは?」

 

これは生命の消滅的な意味だけでなく、おのれは、どこへ行くのか、というような意味で捉えてもいいと思う。:to me>要校正

ここはどこ?わたしはだれ?多分ほとんどの人が無意識に考えている。

 

ここに来て「ひげよさらば」である。主人公猫ヨゴロウザくんである。

 

更生だが誕生だが知らないが、つまりヨゴロウザは「騒がしくて、何かが、もっと入り組んでいる世界」

 

 

 

 

 

 

「Scripta」は紀伊国屋書店のアイデンティティ

 

青春へのサーチライト沖野です。

それでは今日も元気にいってみよう。

 

今回の本と評価

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scripta winter 2020 / 紀伊國屋書店出版部 <電子版> - 紀伊國屋書店ウェブストア

「scripta」

著者‥紀伊國屋書店出版部

出版社‥紀伊國屋書店

 

面白度 ☆☆☆☆

読みやすさ ☆☆

テーマの深さ ☆☆☆☆☆

こんな気分のときに読みたい:新しい風を吹き込むものに出会いたいとき

 

「Scripta」はどんな本なのか

scriptaは紀伊國屋書店出版部によるフリー冊子だ。

年に4回刊行され、各界の著名な文化人によるエッセイがまとめられている。

ちなみにScriptaは「書かれたもの」を意味するラテン語

 人文がメインだが"書かれたもの"を題とするだけあってテーマは多岐にわたる。

 

以下に紀伊國屋公式HPより目次を引用しよう。

 

 

都築響一は著名な写真家なので聞いたことがある人が多いだろう。

sprictaの内容はそれぞれが深く重い。

じっくり腰を据えて読みたい文章ばかりが並ぶ。

はじめて手にとったときは価格が無料であると知り驚いた。

 

これは紀伊國書店にしか作れない。

 

だが当然ボランティアなはずもなく、

原稿料はじめ莫大な予算が組まれているであろう。

無料配布には意図があるはずだ。

 

 

 

「本を売る」最適な方法って?

今の出版業界 

ここでグラフを見よう。

言うまでもないが出版業界の売上は年々落ちている。

 

「出版業界 売上表 after:2020-01-01」の画像検索結果

引用元:

https://unistyleinc.com/techniques/1360

 

 

2018年と2019年で売上を比較すると、

電子出版は伸びているが紙の市場は落ちているのが分かる。

大手書店はどのような対策を取っているのだろうか。

大手書店の戦略を見ていきたい。

 

ジュンク堂vs紀伊國屋書店

手軽なのでHPを比較した。

 

有名な書店でぱっと思いつくのが「丸善ジュンク堂」だ。

HPに飛んでみる。

https://www.maruzenjunkudo.co.jp/maruzen/top.html

 

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ヘッドバナーにあるアプリhontoはオンラインショッピングだけでなく書店在庫の取り置きができる。

概要にはハイブリッド型総合書店hontoとある。

 スマホで調べてもらい購入へのフットワークを軽くする狙いだろう。

 

 

紀伊國屋のHPと比較してみよう。スマホユーザーはあとでモバイルからも見て欲しい、丸善とは顕著に違う箇所が分かる。

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見た瞬間にいくつか気づいたことがあった。

 

ひとつは「オンラインショッピングを押し出している」こと。

ふたつめは「イベントの数と種類が多い」こと。

 

三つめは「サイトがダサい」ことだ。

 

サイトがダサい。見づらい。

見たらモバイルもダサかった。

webページはPCとモバイルで表示が違うので参考までに載せる。

 

 

紀伊國屋書店モバイルビュー

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携帯から見たページトップ

 

 

より見づらくなっている。 

ログインメニューが最初に来た。

PCよりも一見さんお断り感が増した。

 

よく見るとPC画像右のメニュー部分があたまに来ただけのようだ。

モバイルビューがどうでもいいのだろう。 

しかしwebページへのアクセスは基本スマホユーザーだ。

紀伊國屋書店は大丈夫なのか?

不安になってきたので業績を調べた。

 
 
 
紀伊國屋書店は売上が業界トップ

 

紀伊國屋書店 店舗推移」でヒットしたのがこちらの記事。

https://booktrip-japan.com/media/publishing-industry/

 

画像を拝借した。

 

 書店売上ランキング

 

 

トップだった。

ちなみに店舗数だが丸善ジュンク堂が93店舗、紀伊國屋書店が63店舗だ。

ソース元:https://kot-book.com/number-of-book-stores/

 

ちょっと待ってと私は思った。

あのサイトでどうしてここまで売り上げたのか。

 

 

その理由に思いを巡らせる。

そこでふと、ある本屋を思い出した。

 

 

 

 

夢の国としての本屋

 

 

私の好きな本屋さんを紹介する。

「SHIBUYA BOOK SELLER」

 

www.shibuyabooks.co.jp

 

 

普通の本屋さんにない本ばかり売っている。

店内には各テーマ事に本が分けて置いてある。

 

入って手前はマガジン。

左手に建築と写真。

左奥は旅行と料理。

 

右手にはデザイン論と哲学。

その奥に現代文学と詩がある。

 

だがほとんど私はそれらに立ち寄らない。

レジから、ひとつ通路を行った先に4×11マス平積みの広いコーナーがある。

すべて文庫。ジャンル指定はない。

変な死に方をした歴史上の人物をまとめた「偉人たちのあんまりな死に方」とか、

水木しげるの書いたハイルヒットラー伝記のコミックとか、

糸井重里のエッセイ書とかが置いてあったりする。

 

私は今挙げた3冊は買っていない。

買っていないけれどすぐに出てきた。

とてもSPBSらしいラインナップだからだ。

 

思い出していたらまた行きたくなった。

この前みた絵本「バウハウスって、なあに?」が欲しいからだ。

 

まるで敏腕編集者の本棚のようだと思う。

流行に敏感で、知恵が深く、自分の持っている芯からまったくブレることがない。

 

 

 

突然だが 

恋人に「金閣寺」をプレゼントしないといけない状況になったとする。

もちろん精神的な意味だ。

その金閣寺はメルカリで購入したものであってはいけない。

 

君は婚約者の親に会うときにジーンズを履きたいか?

いかんいかん、見栄えしない。

 

「人生のキー」と呼べるような格式高い本は百貨店の本屋で購入したい。

きちんとした身なりで行くべきだ。

紅を差し、スニーカーじゃなくハイヒールで行くべきだ。

 

 

 

 

そこであるからこそ「そこへ向かう」。

それが今回『金閣寺』を現地で購入した理由だ。

 

 そこはロイヤリティとブランド力のある書店。

私にとってはジュンク堂が挙げられる。

長い人生に欠かせない書店だ。

 

対してSPBSは金閣寺の購入候補にならない。

もちろん在庫はある。

だが私は SPBSに夢を見ているのだ。

人生のキーを買ってドアを開けるのじゃなく、

新しいドアを買いに行きたい。

 

知らない本が欲しいのだ。知らない本とそれを好きな自分だ。

 

 

 

夢の国と書いた。

ディズニーランドはどちらかというとジュンク堂に寄っている。

「そこでしか分からないあの"楽しい"という感覚」を求めてみんな行く。少なくとも私はそう思う。

しかし楽しいは一種の「我を忘れる」状態だ。

 

そういう意味でディズニーはSPBSとも似ている。

自分の知っているはずじゃない自分に出会える。我を忘れるとほぼ同義といえるんじゃないか。

 

以上から気づいたが SPBSはコーチ、もしくはコンサルタントだ。

あたなの知らないあなたはこうですよ、と提案してくる。

 

それでいったらディズニーは暴力だ。

一瞬も間を置かずに認知をうばってくる。うばって、目が覚める非日常に叩きこむ。

 

もしかしたらディズニーは最高の本屋かもしれない。

 

というのは冗談。

だが最高の本屋はディズニーを目指すべきだ。

ディズニーはアトラクション、本屋は紙、媒体は違ってもコンテンツは「体験」だ。

 

HPにもあるが紀伊國屋書店は「紙の本」にこだわりが強い。

気持ちは分かる。

それもまた読書「体験」の本質面ではある。

しかし、受け身の販売型からどのような形にせよ能動的な販売に舵を切るべきだろう。

 

 

 

 

 

紀伊國屋書店のscriptaは彼らのアイデンティティ

 

最後に話を紀伊國屋書店に戻して締めくくろう。

 

書店は物理的にテーマパークにはなれない。

ディズニーをはじめとするテーマパークにはアイキャッチなビジュアルが満ち満ちている。

己を示すものには事欠かない。

他にもディズニーをディズニーたらしめている箇所は多くあると思う。

音楽、接客、フード……それら全てがひとつの価値観に沿ってまとめられているんじゃないだろうか。

 

それが書店には見えにくい。

言わずもがなだがどの本屋も基本的にビジュアルは同じである。

雰囲気も店舗ごとにバラバラだ。

 

 

紀伊國屋書店はscriptaで自身のアイデンティティを示した。

もしくは示し続けている。

 

 

私にはそれが、Googleマップに刺さった赤いピンに思える。

 

ピンは私の頭の中でチカチカと存在感を明示する。

 

紀伊國屋書店、ここにあり。

そう光っている。

 

 

 

www.google.co.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「JKハルは異世界で娼婦になった」で面白く読める本の特徴をまとめた

 

 

青春へのサーチライト沖野です。

それでは今日も元気に行ってみよう。

 

今回の本と評価

「jkハルは異世界で 早川」の画像検索結果

https://www.amazon.co.jp/JK%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%81%AF%E7%95%B0%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A7%E5%A8%BC%E5%A9%A6%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F-%E5%B9%B3%E9%B3%A5%E3%82%B3%E3%82%A6/dp/415209737X

 早川書房刊行

平鳥コウ著 

「JKハルは異世界で娼婦になった」

 

面白度 ☆☆☆☆☆

読みやすさ ☆☆☆☆☆

テーマの深さ ☆☆☆☆

こんな気分のときに読みたい:軽い気持ちで活字に触れたい時

 

※本作はweb公開されているため無料で読めます

link:

https://novel18.syosetu.com/n4381dp/

 

「JKハル」はどんな本なのか

まずはあらすじ抜粋しよう。(文庫背表紙より引用)

 

普通の女子高生・小山ハルは、ある日交通事故に巻き込まれーーー気づくと異世界に転移していた。

生活のため酒場兼娼館『夜想の青猫亭』で働くと決めたハルだが、

男尊&女卑の異世界では嫌なことや理不尽なことがありすぎた。

同じく現実世界から来た同級生の千葉。

娼館仲間のルぺやシクラソ、ハルに思いを寄せるスモーブと出会い、異世界に溶け込みはじめたハルを待つ過酷な運命とは……。

絶賛を受けた異色のウェブ小説、文庫化

 

きっちり200文字。早川書房さすがとしか言えない。

JKハルは元々「ネット私小説」だった。

知っている人もいると思うサイト「小説家になろう」で連載されていたものだ。

https://syosetu.com/

ふんだんにライトな短文でまとめられているし、下ネタも入る。

まず出だしから下ネタ。

避妊具がペースト状の草で「草生えるんですけど」といった会話からスタート。

 

ここではネタバレをするつもりはないぞ。

何が言いたいかというとJKハルは「読みやすい」ということだ。とっつきやすい。

どこから読んでも読みやすいし、世界観に引き込まれる。

ライトノベルやweb小説の特徴が生きているわけだ。

 

JKハルにはもう一つ特徴がある。

 

「ずっと読んでいられる」ということだ。

本棚に難しい本を並べがちであり、その影響で本が読めなくなったのが私だ。

娯楽小説の中もたくさん手にとる。けれど最後まで読み切れたことがない。

「気に入らない物語小説」「気に入っている物語小説」世界はこの2つでできている。

しかし「気に入らない物語小説」は多いのが現状だ。

 

「面白く読める」とは何?読める本の特徴は?

「クオリティの低い小説」はおそらく書店で目にすることはあまりないはず。

しかしそれでも本には「気に入らない」「面白く読める」という事案が起こる。

正直にいうと自分が「面白く読める」本は一握りだ。

ではその共通項は?というと

以下の3点に分けられる。

 

1.作者の文化背景と価値観がマッチングすること

2.驚きがあること

3.活字レベルがマッチングすること

 

 

ひとつひとつ説明していこう。

最初に要素からはじめて「面白く読めるとは何?」は最後に伝えようと思う。

 

 

小説家の客観、読み手の主観

 

1について。

説明をする前に小説に見受けられる観念構造の話をしようと思う。

観念構造……ものの見方に関して沖野がつくった造語。

[あるものについていだく意識内容-観念]と[諸要素の依存・対立の関係のあり方-構造]の造語。

 

 

 「主観」と「客観」というものがある。たとえばこのブログで「〜と思う」が主観で、「普通は〜」が客観だ。

「牡蠣は生が一番美味しい」が主観で、「牡蠣を食べすぎてはいけない」が客観だ。

 

 

そもそも小説というのは作者の理性ではなく感情が書く。

よって作家の心象や生活背景が必ず入り込む。(又吉直樹の「火花」なんか良い例ですね)

 

 私は日本の何人かの小説家が好きになれず辛かった時期がある。

今私は重松清の小説を頭に思い浮かべている。中学受験の影響で全く好きになれなかっただけで彼は悪くない。(本屋に行っても萩尾望都さんや吉本ばななさんなどが多くどれを読んでも私には楽しめなかったのでしんどかった)

 

今から考えると、日本作家特有の「学校の閉塞感と私」みたいな空気が似あわなかったんだと思う。

 

補足)合わない作家の本を読むと作家の人生観が見えてくる。

例えば大昔の日本小説を読むと当たり前のような男尊女卑にでくわした、としよう。

特筆したいがその場合、作者はそれを「自分の価値観の範疇だと思っていない」。

その事に気づいた瞬間、物語は醒める。

なのでオールマイティーに愛される作家はもとから「当たり前」を疑う性格なのではないかと思う。

そういう人の文章は、読んでいてクセがない。

 

これが第1条件。

 

驚きとは「既成概念を超えること」

次ははこちらから。

芸術からは逃げられない。

毎日大量の芸術が降ってくる。

飽きてしまう芸術、素晴らしい芸術、素晴らしいけど二度と見られない芸術、様々に。

シャワーのように芸術を浴び続ける中で、「玉」と「石」が分かれてくるはずだ。

素晴らしい芸術、模造品のような芸術、一生残る芸術。

 

その境目とは何だろう。答えはズバリ「驚き」だ。

素晴らしいマンガ、素晴らしい音楽、素晴らしい建築物、見た瞬間触れた瞬間に「びっくり」する。

驚きというのは「自分の知っていたものが知らなかったものに変化すること」だ。

絵の展覧会でよくあるのだが、「この画家はこんなに素晴らしい」という前情報のために見に行って面白くないということがある。

不勉強ももちろんだが、想像が逞しすぎたのだ。

 

自分の持っている「生活への感触」。

今見えて暮らしている世界の認識を、ぱぁっと打ち砕くように新しくするのが「驚き」だ。

その驚きを備えたのが「名作」だ。

ちなみに名作は客観ではない。

もちろん万人の名作も、ある。

しかしあなたの名作と私の名作がある。(素晴らしいことに!)

 

個人の驚きにどこまでそぐうのか、それが「面白く読める本」の第2の条件である

 

 

 

活字レベルでマッチングするということ

私はハイデガーが読めない。

「ハイデガー 存在と時間」の画像検索結果

 

難しいからである。

逆に絵本以上ハイデガー未満の本ならいくらでも読める。(下限はない。)

 

それが活字レベルだ。

挙げた例が物語小説でなくて恐縮だが、作者の言語感覚にどれだけついていけるかで読み進められるかが決まる。

 

このJKハルは私にとって一番読みやすい文体だった。

重要なこともそうでないことも軽いノリで簡単な言葉で話す。

 

 

ダニエル・キースの「アルジャーノンに花束を」に印象的なシーンがある。

主人公チャーリーは手術でIQ185なった元知的障害者だ。

高知能になって、障害学習クラスで指導をしてくれていたアニスという女性と付き合うが、アニスにこんなことを言われる。

「あなたの…言うことは難しすぎるわ。数式とか、なんたら理論とか…。いいえ、私だってあなたの話についていこうと一生懸命努力した。ラテン語のクラスにも通い始めたし話に出た文献も読んだ。でもさっぱり。ねえ、お願いだから、そんな"哀れそうな目"で見ないで!」

 

言語感覚と言うのは本人の無意識で決められていく。

不協和音を生むことが多いのだ。

なので本屋で立ち読みすることを進める、5ページ読めたらそれはとてもいい兆候だから。

 

 

 

 

最後に

「面白く読めるとは何?」から始まり3つの特徴を解説してきた。

面白く読めるとは、つまり"感情"に沿っていること。

自分の身体的な感覚や、知能のテンポに合っているか。

本屋で本を手に取るときは、今度から直感で選んでみよう。

なぜなら自分に合う本はほとんどないのだから。

 

 

あとこんなチェックシート欲しいなと思いました。

twitterとかで投稿するツールにないかな…。

イメージ置いとくので見つかったらまた更新しますね。

 

(チェックシートイメージ)

たて2マス、横3マス

・タイトル ・空欄

・活字レベル ・○or×

・作者主観 ・○or×

・驚き   ・○or×

  

「『笑い』はどこから来るのか?」を読んでお笑いについて考える

 

 

サーチライト沖野だよ。

 お笑いって見ますか?という問いから始めたい。

今日の本は漫才についての文芸書だよ。

 

【今回の本】

筑摩書房刊行

早稲田文学会著

「笑い」はどこから来るのか?

 

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笑いがどこから来るのか?という問いは誰しも気になると思う。

私が強く意識し始めたのは働き始めてからだ。

社会人に限らず、おそらく誰もが人前に立って喋る機会が必図ある。

そのときにいかに笑いを取っていかに話にのめり込ませるかがとても難しいよね。

面白くない講義も世の中には多々あるけど、今回は面白いと人が感じる謎について考えたい。

(ちなみに面白くない講義の原因は

自分の主観で話しすぎることと聴者の機嫌に阿りすぎることの2つ!※持論)

 

この本は芸人さんへのインタビューと演劇作家さんの原稿で構成されている。

早稲田生が書いている為かこの本はやや学術よりで面倒くさい。

日本社会、メタフィクショナル、環境、シグナル‥

 

言いにくいのだが沖野はここで読むのをやめてしまった。

ブログでなかったら草を生やすことでごまかしたいよ。

 

しかしこれではサーチライト沖野として挟持が廃ってしまうのだ。

よって自分の為にも沖野的「笑い論」を広げるよ。

 

〜沖野的笑い論〜

まず笑いについて、この茂木健一郎さんへのインタビューが参考になると思う。

 

R25-

笑いのセンスは磨ける? 茂木健一郎に「どうやったら面白くなれるのか」聞いてきた

https://r25.jp/article/573052766875301885

 

文中から面白いところを引用しよう。

>茂木健一郎

"

脳内が緊張しやすいのは、“わからないもの”に直面したときです。答えがわからないものに直面すると脳は強張り、それが何物かわかったときに緩みます。そのギャップで笑いが起こるんですよ。

だから、笑いは人が持っている「不安」と結びついている。それぞれの人生のステージにおける「新しい不安」などに伴うことが多いんです。

 

"

 

これを読んで、

単純な感想だが沖野は目から鱗が落ちてしまった。

 

”人が持っている「不安」。”

漫才やコントの「テンポ」や「緩急」がこれに近く思うよ。

音楽でもホラ、ラーラーラーーララらー、ときて、

同じフレーズを何回か繰り返しがちだね。

しかしそこでEDMが流れる。もしくは男節でも良いね。

 

漫才でためて落とすのは、お客さんの脳に「同じテンポ」を期待させておいてから「ざんねん!!」と裏切るのが笑いに繋がるからなんだね。

 

コツとしては頭を使わせないこと。

落とすときに「なーんも考えなくて良い」ネタを使うことだよ。

使用に責任は負えないけどね。

 

さてそう考えると、「笑いは快適なものではない」ということが見えてきたね。

ここで「笑いはどこから来るのか?」を引用しよう。

 

>サンキュータツオ 米粒写経より

「誰も大声ではいませんが、基本的に悪口って面白いんですよ。

それも、ネットに書き込むより、友達同士で集まって『あいつ嫌い』て言うのが1番面白い

人間には光と闇の部分があって(以下略)」

 

なるほど。

ここで思い出されるのが漫才番組での「こき下ろし」系ネタだ。

何かを上げて誰かを落とす。

昨今は厳しいからか「自虐」になることが多いね。

しかしあれは見ていて心が傷つくのだよ。

 

では傷つかず面白い漫才とは何か?

ここでまた「笑いはどこから来るのか?」を引用しよう。

 

>サンキュータツオ 米粒写経

「(略)シンプルで、身体性の伴うものに変化していますよね。

(略)そして、誰が見ても罪なく笑えるもの。

こういう時代だから、誰も傷つけることなく笑うことができるネタはとても貴重なんだと思います。」

 

「『短い時間でわかるようにしてほしい』と言われるようにもなりましたね」

 

シンプルで、

短い時間でわかる

身体性の伴うもの

 

例として「小島よしお」など一発ネタが挙げられていた。

もちろん長い漫才でも上記を満たした漫才はあると思う。

 

沖野は正解としてここまでたどり着いたよ。

まあ現在の最新回答なわけ。

長々と書いたのはこのスタイルを知って欲しかったからなんだね。

こういったネタは長時間の漫才では少ないと沖野は感じている。

ただ、ないわけでもないよ。

よって記事の締めとして罪なく笑える漫才を置いていくね。

 

the manzai 2019 千鳥

https://www.youtube.com/watch?v=OXOy3YwP2gY&list=PLvd4CXBzOBAoEY0qkQWBvWbGQaZ7RDtUU&index=102

 

the manzai 2019 銀シャリ

 https://www.dailymotion.com/video/x7sliom

 

ではさらば!