綺麗なおねいさんがいる。
一般的な話ではない。私の近所のスーパーマーケットのことである。
名を斎藤さんという。
彼女は喩えれば小柄なネコだ。
おおきなラウンド眼鏡をかけている。
全体的につくりが小さい。小さな頭にどんぐり型の明るいショートヘアをしている。
こう書くと可愛らしい愛嬌のある女の子と思う人もいるだろう。しかし斎藤さんはまったく笑わない。
いつもまったく感情がわからない。
この世のすべてのものに関心感動がないかのようなに淡々とレジ打ちをする。
一度ほかのパートの店員さんに指示しているのを聞いたことがある。
それやったら出て、の一言だったがそのときも瞳は同じように無感情であった。
何度も言うが笑っているのを見たことがない。
それでも斎藤さんは綺麗だ。
溢れ出る無関心とその若さ。
斎藤さんには透明感があふれていた。
私はいたく彼女に惹きつけられた。
斎藤さんを意識せずレジを通過できない。
女には化粧をきちんとしている日とそうでないと日とがある。
きちんと、化粧をしている日は私は斎藤さんのレジに並ぶ。
はたしてその列が混雑してようとしてまいと並ぶ。
しかしメイクがいまいちな日には、私は斎藤さんのレジには並べない。
夕方のレジ前は戦場だ。
お客さんはみな我先にと空いたレジに並ぼうと動く。
その人混みの中、私だけいつも斎藤さんを主軸にうろちょろしている。
周りの人と違うゲームルールで動いている。そのことに私はいつも奇妙な優越感を覚えている。
美しいおねえさんがいる。
彼女たちはいつも輪郭に迷いがない。
輪郭に迷いがないというのは、観測している「私」が何を言っても精神が揺らがないということで、有り体に言えば「関心がない」ということでもある。
私は考えてしまう。
斎藤さんは友達になったら美しくないのだろうか。揺らぐのだろうか。
実は斎藤さんとそっくりな容姿の女性にあったことがある。
彼女は名を「お茶ちゃん」といった。
私が勤めたユースホステルのお客さんで、一緒に関連のイベントで再会した。
お茶ちゃんは斎藤さんと同じように白く美しい。(髪型もそっくり)
当然だが初対面に等しい関係性が私たちだった。
なのでお茶ちゃんは私に「関心がない」ことはない、むしろ自信のないくらいの接し方だった。
しかしそれと輪郭とは何も関係がなかった。
お茶ちゃんの輪郭は柔らかいものだった。
それだけではない。お茶ちゃんの輪郭には迷いがなかった。くっきりとしていた。
ちょっと待ってほしい。
これは一考すべきであろう。
お茶ちゃんと私は単なるスーパーの店員と客ではなく友人関係だった。
すると迷いなき輪郭は友人同士でも変わらないのではないか?
これは重大な発見である。
斎藤さんのくっきりした輪郭を仲良くなってから見たい!
私は思った、
斎藤さんとは友達になっても美しい姿を横で見られるのでは…?
(輪郭の迷いなさとはすなわち若者にとっての美しさだ)
それよか、彼氏になっても美しい姿を横で見られるだろう。
いったいそれはどんなランデ……
ピッ「お支払いは現金ですか?」
知っている。現実に引き戻される。
斎藤さんと友達になりたい。
あーあ近くのバーとかでの遭遇イベント起きないかな。たぶんないけど。