サーチライトのつもりだ!

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光の死んだ夏 考察

光の死んだ夏という漫画を最新刊まで読んだ。

 

ネタバレ全開で考察をお送りする。未読勢は読まないように。

 

・光と闇、闇とヒカル

作者が死んでしまった忌堂光の名前を光、にしたのは、成り変わりの対象となるノウヌキ様が闇そのものだからだろう。

 

・ヒカルないしノウヌキ様の正体とは?

ノウヌキというだけあって人間の脳を抜き取る土着神だと思われる。

輪廻の輪から外れた概念、地獄そのもの、とても大きなもの、ケガレや幽霊を消滅させて内側に吸収できる、とのことだ。

まあチェンソーマンみたいなもんである。

人間でいうと、粉瘤をイメージしてしまう。

世の中には歪みがあり、あるべき流れから外れてしまったものたちや物質の最終的に行き着くところがあり、ちょっとしたスポットのように空間になっている。壁裏あたりに。

そこに忘れ去られたものや嫌われたものたちがたくさん仕舞い込まれているのである。

おそらくノウヌキ様はそういった「ポケット」であり、ものの性質が根本から超邪悪なバージョンの「ポケット」なのだと思う。

 

で、そのポケットに仕舞われると輪廻から外れてしまう、そういう認識である。

 

もともと人間の脳髄を捧げることで村人の願いを叶えていたのだろう。

体の部位にちなんだ名前なのはそれぞれ生贄になる人間を処理している場所に関係していたのでは?と考える。首立がラストで、そこで儀式の最終段階を取っていた。

達磨捨は単なるゴミ捨て場くらいの認識だったのではないか。それが、村人の過ぎた願い方により、災禍が起こり、ノウヌキ様がより邪悪になってしまった。

なのでゴミ捨て場にノウヌキ様ごと封印して禁地とした。そんなとこではないか。

おそらく災禍のきっかけとなった首を抱えた男性は忌堂の先祖だろう。

 

・この後どんなストーリーを辿るのか?

よしきは傲慢な若者という感じである。ノウヌキ様の本能による愛着を誤解しており、可哀想な存在として救おうとしている。

なんならヒカルないしノウヌキ様がよしきのことを好きなのは、本能によるものである。半分は純粋な忌堂光の感情の残滓である。そして残り半分はおそらくパーツとして人間世界を取り込む鍵になるからだろう。よしきはヒカルにとって利用価値がある。おそらく利用した先には災禍が待っているだろう。ただ、そのぶんノウヌキ様の質量は増えているだろう。

 

光と闇がテーマであり、ヒカルないしノウヌキ様が「好きや。」「めっちゃ好き。」と言っているときに顔が半分暗く半分明るくなっているのは、それぞれ光とヒカルの感情を示しているからだろう。

 

 

・感想

さてここからは感想タイムである。

 

素晴らしいがホラーとしては味気ない作品だと思う。

田舎特有の倦怠感、及び青年期の共依存を人外をフレーバーに描くのは素晴らしく特出していると思う。

ホラーだが、人外は別に怖くないのである。

人外に怯えている人間の表情や感情の揺れ動きが恐ろしいのだ、観客は。

またもう一つ怖いものがある。狂気に侵された人間である。

なのでホラーとして強いのは怯えまくる人間が複数出てきてパニックになり、人外や超越的な邪悪なものと狂気的な人間が出てくると良いだろう。

何を悍ましいと感じるか。

大抵人は人の生業の中、人間としてのルールの中で暮らし、タブーを作り、怯えている。

なので単に人外がいてもあんまり怖くないのである。

我々の愛すべき生活や愛らしいものを人外がルールの外から貪って壊す、のがやや怖いくらいか。

何より私は取り乱している人間を見るのが怖い。

取り乱し、人間社会を損なう判断をする狂気や、妄信が怖い。

その点この作品に出てくる人はタブーに敏感ではあるが非常に理性的であった。

 

そんなことを感じました!まる。